初飛行を終え着陸したMRJは報道スペース16番スポット前の誘導路を通過します。私は誘導路から離れた位置まで下がって南側の最前列を確保し、近づいて来るMRJを撮影しました。それ以降はご覧のように報道陣の頭越しになり、高い脚立や三脚が目立ちます。私は足元にICレコーダーを置いて離陸のエンジン音を録音するため、ヘッドホンのコードの長さが足りない関係で、脚立の使用を断念しました。国産旅客機としては53年ぶりの歴史的な初飛行ですので、顔見知りの航空写真家や航空評論家の姿もありました。
日本航空写真家協会・元会長で、セントレアフォトコンテストの審査員を第1回から続けている伊藤久巳(ひさみ)さんです。脚立の上でニコンD-4に600mmレンズを装着して(もちろん手持ちで構えています)ヒコーキをアップで切り取り、エンジンのブラスト(噴流)を効かせた迫力ある作品に定評があります。ボーイング787の初飛行も現地で撮影しています。
こちらはチャーリィ古庄(ふるしょう)さん!かつてセントレアで行った「ミッドナイトフライト」の公開録音に出演していただきました。セントレアフォトコンテストの審査員で、セントレアのオフィシャルカメラマンでもあります。世界中でヒコーキ撮影を行い、「世界で最もたくさんの航空会社に搭乗した人」としてギネスの認定を受けています。構えているカメラはキヤノンEOS 7D Mark2に100-400mmズームの新型で、実は私も同じ組み合わせでMRJ初飛行の大半の写真を撮りました。
顔写真はありませんが、航空写真家の大御所、青木勝(かつ)さん(JAL国内線ジャンボ・さよならチャーターフライトのイベントでインタビューさせていただきました)。月刊エアラインでおなじみのベテラン、阿施光南(あせ こなん)さん(ボーイング787初号機がセントレアに着陸した際、セントレアの屋根の上でご一緒しました)。そしてテレビでおなじみの航空評論家、青木謙知(よしとも)さんにお会いしました。
初飛行を終えたMRJは18番スポットに到着した後も、しばらくはエンジンを回していました。エンジンが止まってから、タラップがセットされました。機体までの距離が近いため、キヤノンEOS 5D Mark3に24-105mmのレンズを着け、24mmで何とか胴体が収まりました。露出は無補正だと、空が暗くなりすぎましたので、1/3だけ+補正をかけました。空と雲がいい感じですが、風景モードで撮影し、PLフィルターは使っていません。
後部ドアの右下にMRJ飛行試験機初号機の機番「JA21MJ」の文字が書かれています。下にぼやけて見えるのは、小牧城(小牧市歴史館)ですが、これを絡めるためにレンズは約290mm相当で撮影しています。
エンジンカバーを640mm相当のアップで撮りました。ここにはアメリカの航空機エンジンメーカー「プラット&ホイットニー」のマークが描かれています。この鳥はアメリカ合衆国の国鳥「ハクトウワシ」と思われます。MRJはプラット&ホイットニー製の新型エンジン「ピュアパワーPW1200G」と、それを生かした機体の設計による、低燃費、低騒音、快適な客室をセールスポイントにしています。
地上でMRJの初飛行成功を祝う、三菱の関係者です。左から三菱航空機・森本社長、初飛行の機長・安村チーフテストパイロット、副操縦士・戸田テストパイロット、三菱重工・大宮会長、三菱重工・鯨井(くじらい)副社長です。実は前後のカットでも常に満面の笑みを浮かべていたのが大宮会長でした。
記念撮影終了後、囲み取材を受ける三菱重工・大宮会長です。初飛行にあたって「子どもを初めて幼稚園に送り出す心境」「初飛行は大成功」「初飛行が成功して、登山の6合目」といった発言をされていました。以前「MRJの初飛行に乗りたい!と言ったら断られた」という話も伝わっています。本当にヒコーキがお好きなのですね。
実は私11月8日の朝、MRJの初飛行に搭乗した夢を見ました。右の窓側席で、普通に離陸した後、しばらく低い高度を飛び、雲の切れ目を目指して上昇していきました・・・。そもそもMRJの初号機に客席などありませんよね。ANAの路線に就航したら、早い時期に乗りたいですね。2年後の今頃、セントレア⇔女満別あたりに就航することを期待します。